NHK【連続テレビ小説】虎に翼 第11週「女子と小人は養い難し?」(52)2024年6月11日(火) NHK総合 8時~8時15分
寅子(伊藤沙莉)は、桂場(松山ケンイチ)から家庭裁判所設立準備室への異動を言われます。
1949年(昭和24年)1月に施行される新しい少年法には家庭裁判所の存在が前提となっていたのです。
寅子は、家庭裁判所設立後は裁判官にしてするという桂場の言質(げんち)を取り、意気揚々と法曹会館屋上に急設された家庭裁判所設立準備室に出勤します。
そこではチョビヒゲの多岐川幸四郎家庭裁判所設立準備室室長(滝藤賢一)がスルメを焼いていました。
新しい職場には、大学同窓の小橋浩之(名村辰)も異動。さらに稲垣雄二(松川尚瑠輝)も新たに配属されていて三人は久闊を叙します。
同窓だった花岡判事の話をしていると多岐川室長が「あのバカタレ判事、法律を守って餓死なんて下らん死に方だ」と吐き捨てます。
反論する寅子に多岐川室長は「議論は平行線だ、わかり合えない事は諦める」とスルメを囓ってお酒をグビリ。
一方、大学生となった弟直明(三山凌輝)は、学生仲間と「東京少年少女保護連盟」というグループを作り戦災孤児達に寄り添うボランティア活動を始めました。
厚生省(現・厚生労働省)が1948年(昭和23年)に実施した全国孤児一斉調査結果によれば孤児総数は123,511人、戦災孤児28,248人という数字が残っています。※沖縄県を含まない
巷には孤児達が溢れていたのです。
早速、家庭裁判所設立準備室では、1948年(昭和23年)に新しく作られた家事審判所と 1922年(大正11年)創設の行政機関少年審判所を統合するため両者の話し合いが行われます。
家事審判所は、国外の戦地、旧占領地などから引き上げてきた軍人約310万人と居留民約320万人の戸籍問題などでてんてこ舞いをしていたのです。
とは言え、家事審判所は民事の裁判所、少年審判所は歴史がありますが行政機関。全く素性が異なる組織同士を僅か2ヶ月で家庭裁判所という新しい組織に統合するという作業はかなり困難を極めます。有り体に言えば、御無体。(笑)
家庭裁判所設立準備室は、GHQのまわし者か?と言われてしまう始末です。
しかし肝心の家庭裁判所設立準備室室長は、イビキをかいて寝ています・・・。
こりゃ、タイヘンな状況ですが、寅子は?
ちなみに、
1952年(昭和27年)にサンフランシスコ平和条約が締結されるまで、日本は実質的にGHQ(General Headquarters=連合国軍最高司令官総司令部)の占領(正確にはポツダム宣言の執行)下にありました。
一切の外交関係は遮断され、天皇及び日本国政府の統治権もGHQの支配下におかれていたのです。
文:鉄道チャンネル住田至朗