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2024年5月26日日曜日 総合20時~「光る君へ」(21)「旅立ち」です。

伊周(三浦翔平)は、帝の命に従わず逃げ隠れしていましたが、ついに検非違使別当藤原実資(秋山竜次)の手に落ち太宰府に送られます。それには母の貴子(板谷由夏)も同道しました。しかし一条帝の命で母は京に遺され、伊周は一人太宰府に騎馬で向かったのです。

伊周は同時代の日記などにも「文武両道に優れ眉目秀麗」と残されている様ですが、同時に「いささか子供っぽい性格」とも・・・。

確かにドラマでの伊周の狼狽ぶり、未練がましく諦めの悪い様は、かなり子供っぽく見えます。むしろ中宮定子の怜悧さが際だっています。

その中宮定子(高畑充希)は、落飾しましたが、一条天皇の子を懐妊しています。しかし擁護者を失った彼女はそれを秘して静かに逼塞しています。

ききょう(ファーストサマーウイカ)は、まひろ(吉高由里子)に懐妊した中宮の心身の健康を願う気持ちを伝えます。

まひろは「中宮を慰めるために春夏秋冬の四季を書いては」と言います。歴史に名を残した清少納言の誕生です。ききょうは、後世『枕草子』と伝わる随筆を中宮のために書き始めるのです。

春は あけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは 少しあかりて 

紫だちたる雲の細くたなびきたる。

夏は 夜 月のころは さらなり

闇もなほ 蛍の多く飛び違いたる また ただ一つ二つなど。

古文の授業で習った時は些か苦痛でしたが、ゆっくりと『枕草子』を読むと、心に沁む言の葉がさらさらと繊細で美しいことに驚きます。古くささは微塵もなく、感覚の新鮮な喜びを素直に言葉に置き換える自在さは、時間を越えて読む者の心に響いてきます。

自身もまた才気煥発だった中宮定子は、清少納言の文章にさぞかし救われたことでしょう。

越前に赴任する藤原為時(岸谷五朗)に左大臣に昇進した道長(柄本佑)は、宋から来た70余人の宋人に「宋に開かれた港は博多の津のみ」とさとし穏便に宋に戻せと命じます。

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まひろの弟惟規(高杉真宙)が20名という狭き門「文章生(もんじょうしょう)」に合格。家族は喜びを分かち合います。惟規は、後に従五位下と父為時と同じ位まで上りました。ドラマでは明るく快活な弟ですが、歴史的には歌集を残した歌人でもあります。

まひろは越前出立前に道長に文を送り、例の廃屋で会い互いの思いを確かめました。

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てっきり海かと思ったら、広い琵琶湖を小舟で渡るまひろと為時でした。琵琶湖の北から山道を越前に向かいます。このシーンがトップ画像です。越前は現在の福井県の東側にあたります。

筆者は、曖昧に「敦賀の辺り」と思っています。

まひろ父子は国府の前に宋人たちの松原客館を訪ねました。騒ぐ宋人の中に一人静かにまひろたちを見る者がいます。

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この人物、死んでしまった散楽師直秀(毎熊克哉)の面影を感じさせます。

第22回「越前の出会い」に続きます。

強権で無理を通した関白道隆(井浦新)の没後、僅か1年程で、その子供たちは内裏を去ることになりました。清少納言は『枕草子』を書き始めます。まひろは、いつ紫式部に化けるのでしょうか?

文:鉄道チャンネル住田至朗

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