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NHK総合「光る君へ」 4月21日(日)20時放送 第16回「華の影」、見ました?

正暦5年(994年)の年が明け、若き公達が一条天皇を囲んで登華殿に和やかな時間が流れています。優雅な内裏、後宮です。

定子中宮(高畑充希)が清少納言(ファーストサマーウイカ)に「香炉峰の雪はいかがであろうか」と問いかけると、彼女は御簾を上げて「どうぞご覧ください」と応えます。これがトップ画像。

これは白居易(白楽天)46歳の詩、香爐峰雪撥簾看(香炉峰の雪は簾を撥げて看る)を踏まえたなぞかけでした。定子中宮と清少納言には、女人に極めて珍しい漢詩の教養があったのです。

公達と若き一条天皇は庭で雪遊びに興じます。 

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というか、冬の京都は底冷えしますよ~。雪の庭、内裏の装束(薄着でしょ?ヒートテックも無いし)での雪遊びは、どう考えても寒くてマジで風邪をひかないか心配です。(笑)

別の日、同様に登華殿で公達達が天皇の笛と中宮の琴に合わせて楽しげに舞を舞っていました。そこに一条天皇の母で史上初めて女院の称号を得た詮子(吉田羊)が登場。

詮子が「騒々しい舞は何事か?」と問うと、天皇の前でも普段着の伊周(三浦翔平)が「これがお上が望まれる新しい後宮の姿なのです」と偉そうに笑いながら告げました。

このしばらく後の話になりますが、関白道隆、関白を次いだ道兼が相次いで死去すると、一条天皇は伊周を関白にと望みましたが、母の詮子が頑なに反対します。その結果、道長に権力が渡ります。自分を内裏から遠ざけた道隆、伊周父子の専横・独裁が、女院詮子には我慢できないものだったのです。

この辺りは史実に忠実に描かれています。

某日、道隆(井浦新)新一族は、内裏の後宮弘徽殿が火付けにあった事を案じています。隆家(竜星涼)は火付けの張本人が女院詮子だと言い出す始末。

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専横を恣(ほしいまま)に振るう道隆の一族、敵が多いことは一族がそれだけ輝いているからだと隆家は高らかに笑うのです。前15回「奢る者」の姿が反復されています。

一方で京を疫病が襲っています。

医学の知識などなく、上級貴族ですら衛生的な生活とは無縁だった時代です。風呂に入ると言っても目的は清潔さでは無く信仰的な禊(みそぎ)なのでチョロッと水を流してお仕舞いですし、トイレも貴族でやっと箱や壺に糞尿をするだけ。庶民と言えば市中で所構わず垂れ流しだったと言いますから、そりゃ感染症は流行し放題だったでしょう。やれやれ。

ドラマの正暦5年(994年)、前年(正暦4年)から京で疫病がはやりだし、翌年にかけて疱瘡(ほうそう=天然痘)が全国で猖獗を極めたことが史書などにも残されています。

天然痘は極めて感染力が強く、罹患した患者の約半数が死ぬと言われました。

ちなみに天然痘は、人類史上初めて根絶された感染症です。1980年(昭和55年)世界保健機構(WHO)がその終焉を宣言しています。

もちろん・・・ドラマは、その1000年近く前のお話しです。

この疫病で数年間に京の住民の半分、約5万人が死んだとも言われています。京の市内は死骸だらけとなり、死臭が鼻をつく状態だったと、邸宅の奥に潜んでいた貴族たちの日記にも記されています。

まぁ、その様な時代だったコトを念頭に置いてドラマの続きを見ましょう。

疫病流行に対策を求める公卿たちを関白道隆は無視し続けます。

一条天皇は関白に「疫病に苦しむ民を救え」と申しつけますが、当の道隆は「貴族は疫病にかからない」と意味不明の自信を以てこれも無視したのです。

内大臣となった伊周は、叔父道兼(玉置玲央)に挨拶をします。道兼は「疫病に対策はしているのか?」と訊ねます。伊周は「あれは貧しき下々が罹るものゆえ、我々貴族には関係ない」と応えました。道兼が「その様なことで内大臣は務まらない」と言うと「それでは、叔父上は何か良きコトをなさったのか?」と嗤い「このまま何もしない方が良い」と暗に申しつけたのです。官位は伊周の方が上位なのです。

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一方まひろは、さわのコトを案じていますが、字を教えていた少女が突然訪ねてきました。疫病で両親が救護施設(非田院)に行ったまま戻らないと救いを求めてきたのです。

少女を連れて非田院に行ったまひろは疫病の惨状に驚きます。助けを求めてきた少女も疫病に罹っていて、まひろは必死に看病しますが死んでしまいます。しかしまひろは救護施設で苦しむ子供たちを必死に看病するのです。

道長(柄本佑)は、疫病対策を兄関白道隆に直訴しますが「疫病などどうでも良い。それよりも後宮の不審火は道長の職務鯛萬だ。」と悪し様に言われます。

ドラマで、道隆は道長をとても軽く見ています。というか、息子伊周の表面的な優秀さに眼が眩んで、人間としての価値などに興味が無い人間として造形されています。これは亡き父兼家から「家を守り盛り立てるコトだけがわが家の政治である」と叩き込まれた過去に立脚しているのでしょうか。劇中で道隆も、表面的な価値に拘泥する人間と描かれています。

4月20日土曜日の「土スタ」にゲストで登場した道隆役の井浦新さんは「脚本家さんは、道隆を温室育ちのスーパーエリート、品のある穏やかな若者として描いています」「史的には文化や芸術に秀でていたという道隆ですが、大河ドラマでは敢えてその部分は描かれてはいません」「権力を得てからの道隆は、権謀術数でのし上がった父兼家をあたかもコピーしているかの様な気がします」となかなか興味深いコトを話しておられました。

大河ドラマは、もちろん現代に作られるフィクションですから、史的な人物も自在に造形されるワケですね。だから面白いのですが。(笑)

さて、道長は自ら救護施設(非田院)に疫病の様子を見に行こうとしますが、次兄道兼に「汚れ仕事は自分の役目だから」と止められます。それでも道長は非田院に向かい、道兼と二人で惨状を目の当たりにします。

非田院で瀕死の病人に囲まれて一人奮闘する薬師(くすし)は道長に助けを求めます。道長は「内裏に申し伝える」と応えましたが、薬師は「これまでに何度も内裏には助けを求めたが何もしてくれない」と言いうのです。

ここで子供たちの看病をしていたまひろが疫病で気を失う場面に居合わせた道長がまひろを自宅に連れ帰り徹夜で看病します。父為時(岸谷五朗)は大納言道長がまひろを連れてきて看病することに驚きます。いと(信川清順)も「何故大納言様が?」と不思議がるのです。

道長は、まひろに「行くな戻って来い」と魂呼びします。

これが功を奏したのか、翌朝眠ったままのまひろを残し道長は去ってゆきます。

右大臣家に戻った道長を正妻の倫子(黒木華)は赤染衞門(凰稀かなめ)に「殿の心には、私ではない、明子様でもない、もう一人、誰かがいるわ」と言い笑うのです。

女心は、ホントに分からないですねぇ。

文:鉄道チャンネル住田至朗

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