そりゃ 遊び相手でしょ・・・

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NHK総合「光る君へ」 3月31日(日)20時放送 第13回「進むべき道」見ましたか?

寛和2年(986年)花山天皇が出家し、即位した一条天皇は、数え年7歳でした。永祚2年(990年)数え年で11歳で元服。満年齢なら10歳に過ぎない「大人」です。

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その10歳の天皇に右大臣家の長男道隆(井浦新)の長女定子(高畑充希)が入内。定子は、天皇の遊び相手になったのです。

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市に買物に出かけたまひろは、証文の文字が読めないために騙されて子供をとられる母子を助けようとして怪我を負います。まひろは、貧しい民でも字が読めれば騙されることが無い、と貧しい子供に字を教えることを自分の進む道と決意します。

ハッキリ分かりませんが、当時の京の住民は大雑把に言って10万人程度。そのうち貴族階級が約千人。貴族ではないけれど公務員に当たる人たちは当然読み書きはできたでしょう。それに商人など最低限の文字・数字が読み書きできた者を含めても1万人もいなかった様です。

その200年以上後の時代ですが後鳥羽院が承久の乱を起こした時、院の発した院宣を読めたのは、北条泰時の配下5千人の武士のうちたった一人であったと『吾妻鏡』に書かれているのです。武家ですらその程度なのです。

漢字まで読み書きできたのは、京都でも数千人もいなかったのではないでしょうか。

その中でまひろは最上級の教養を持つ女性と描かれるのです。

右大臣兼家(段田安則)は、老化が進み後継者として花山院を騙して出家させた右大臣家次男の道兼(玉置玲央)が画策を始めます。

道長(柄本佑)は天皇の母となった詮子(吉田羊)に言われて醍醐天皇の孫にあたる源明子(瀧内公美)を妻に迎えていました。子ができたと伝えられ夫婦で父兼家の見舞いに行きます。明子は亡き父の政敵兼家の策略で父親は落魄し死んだと恨んでいるのです。ボケた兼家に茫然とする道長を尻目に明子は兼家から扇をもらい受けます。

生活のためまひろは上流貴族の家に女房として出仕することを願いますが、受け入れてもらえません。その噂を聞いた左大臣家の倫子(黒木華)が、まひろに文を出して呼びます。道長との間に生まれた娘彰子(あきこ)の教育係を頼みます。 

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しかしまひろは「他家で雇われた」とウソをつきます。

実際は、近い将来まひろは彰子が天皇に入内した際に道長の依頼で宮中にあがり「源氏物語」を書くことになるのです。

倫子は、道長が文箱にしまってあった女文字で書かれた漢詩をまひろに見せ、もう一人の妻明子とは文のやりとりがあったのに、自分には文も寄こさず庚申待ちの夜に突然訪問があったと告げます。それはまひろが道長から妾になって欲しいと言われた夜でした。

まひろは、道長が自分の文を持って婿入りしたことに驚きます。

左大臣家を退出するまひろは、偶然帰宅した道長と出くわすのです。

ここで「つづく」でした。(笑)

ヨク知られている様に「紫式部」というのは「源氏物語」を書いた女御の残した「日記」などから付けられた「ブランド名」の様なものです。

実際は、当時の下級貴族階級の女性一般と同様に「紫式部」本人の名前も生年月日、没年もハッキリ分かっていません。一方で彼女が残した和歌も数多く勅撰歌集に収められていて、才能と教養のある女性だったことは確かです。

この点は、このドラマにも登場するライバル「清少納言」も全く同じ、本名も生没年も不明なのです。

とりあえず参考書を書架から探してきましたが・・・。

読み始めたら、どうやら「メタ・テキスト論」がメインの様です。内容は面白いんですけど、ちょっと知りたいこととは違う方向かもしれません。

それでも、何か面白いコトが分かったら、お披露目いたしましょう。(笑)

文:鉄道チャンネル 住田至朗

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